大人の発達障害ガチ勢から
大人の発達障害というワードがプチバズらしい。
長らく発達障害っぽさを自覚している自分としては、なんとも複雑な気分だ。
発達障害というのは1か0で分けられるものでなく、
0から100の間の中で80点位以上の人が"発達障害"(ADHDとかASDとか)として診断される。
(80点というのは「どこかに線引があるよ」というたとえね。なんちゃら検査の判定基準ではないです。)
発達障害と診断された人は、「わー、私かわいそー。周りは気を使ってよね。あとお薬ちょうだいね。それと場合によっては仕事や保険も優遇してよね」ということができる。
他方、79点!ギリギリだけど発達障害とまでは言えません!
と診断された私のような人も存在するわけで。
不思議なもので、その診断が下った時はとても残念に感じた。
医者には
「発達障害をエクスキューズにしたがっているだけだろう。診断が下ったところで何も変わりゃしない。生きていくしかないんだ。」
と看破された。
至極そのとおりだろう。
生きにくいこの人生を何かのせいにして飲み込みたい。
その思っていることを自覚できた。
しかしどうだろう。
言い訳して生きていけるとなると、それはそれで快適なのではないか、
とも思っているのだ。
言い訳させてくれたっていいじゃないか。
なーんて事を思っている人々が
"大人の発達障害"
なんつー定義の曖昧な言葉を生み出し、
エクスキューズにして生きづらさを和らげて暮らしているんじゃなかろうか。
"大人の発達障害"というのは、医学的な診断がなくても自己申告でナノれる都合のいいことがだからね。
エクスキューズくらい言わせておくれ。